2009年10月04日

女性が和服を着るときに用いられる和装ブラジャーは

女性が和服を着るときに用いられる和装ブラジャーは、胸のふくらみを抑えて、平らに近づける働きがある。また、和服を着るときに、体のへこんでいる部分にタオルなどの布をあてることがある。和装ブラジャーと、体のへこんでいる部分にタオルなどの布をあてるのは、着用した和服が着崩れないようにするためである。このことは体の輪郭線を隠す結果になる。

なお、体型を隠すように直線的に和服を着るべしとされたのは昭和30年代後半に入ってからのことである。和装ブラジャー、タオル等による補正もその頃に生まれた風習である。ちなみに、昭和30年代前半は、洋服の下着を身につけ、あえて体の線を強調して曲線的に着るのが良しとされ(例えば昭和32年の『主婦の友』4月号には、「体の美しい線を出す新しい装い方」という記事が掲載されている。)、それ以前は、それぞれの体形なりに着付けるのが良しとされていた。
ゴージャス発見生活ネット
さとるのお約束
シンプル is ベスト
ダイエット一直線
テレフォンガール
ねむり姫地域活動
はみがきまん
ヒマラヤ水晶
ふろしきおじさん
ポンポンダンス
メロン姫知識経済
ラベンダー情報通信ネット
愛華も歩けば棒に当たる
芋虫ころころ
音楽戦士
蚊取線香
願いが叶う

身頃(みごろ)
身頃は、右の前身頃・左の前身頃・後身頃をまとめて呼ぶ言葉。現在の和服の長着の標準的な裁断方法では、右の見頃と左の見頃の2つの布で見頃が構成される。左の前身頃と左の後身頃の肩は縫わなくてもつながっている。右も同様。
前身頃(まえみごろ)
和服の袖を除いた部分の、空間的に前の部分。背中の反対側を覆う部分。和服の前身頃は「右の前身頃」と「左の前身頃」に分かれている。

2009年09月26日

部落問題

部落問題(ぶらくもんだい)は、日本における差別問題のひとつである。江戸時代の穢多や非人など賎民身分を由来とする。居住地域が限定され、被差別身分化の理由には、様々な説がある。現代では世系差別と地域に対する差別を同和問題という。

「部落」は本来「集落」の意味である。歴史的にエタ村あるいはエタと称された賤民の集落や地域を、行政が福祉の客体として「被差別部落民(略して部落民)」などとよび定着した。現在では同和行政特別施行地区という呼び方をする自治体もある。なお東日本などでは現在でも日常的に差別などの意味をもたない「集落」「地区」などの用法で「部落」という言葉を用いている。
さとるのお約束
シンプル is ベスト
ダイエット一直線
テレフォンガール
ねむり姫地域活動
はみがきまん
ヒマラヤ水晶
ふろしきおじさん
ポンポンダンス
メロン姫知識経済
ラベンダー情報通信ネット
愛華も歩けば棒に当たる
芋虫ころころ
音楽戦士
蚊取線香
願いが叶う
久美の格言

近現代に「部落」の語が用いられるに伴い、「地区」の意味での「部落」と混同されないよう部落民自らが「特殊部落民」と称するようになった 。しかし「特殊部落民」との呼称も蔑称として使われたことから、「被圧迫部落」「未解放部落」「被差別部落民」などの呼び方に換えられた。蔑称として「部落民」「特殊部落民」ほか、近年は「同和行政」という語に由来して「同和」が使われる事もある。

近世起源説では「徳川政権が大多数の農民を支配するために、宗教的理由で忌避されていた食肉皮革産業や廃棄物処理、風俗業界、刑吏等の賎民を身分支配のため固定化し、代わりに独占権益を与えたことに始まる」としている。ただし「士農工商穢多非人」といった序列付けについては近年否定する説もある。

2009年09月14日

初心者用の機体では

初心者用の機体では、装備するサーボは、スロットル、ラダー、エレベーター操作のための3個だけになる。本番の飛行の前に、シミュレーション飛行を行うことが奨励されている。充分にシミュレーションを体験すれば、初飛行で機体を壊して挫折する危険が減り、4チャンネル(スロットル、エレベーター、ラダー、エルロン)から始められるかもしれない。

複雑な機体、大型スケール機などは1つの舵面に対して複数のサーボが付く。また、追加チャンネルを使って、引き込み脚、爆弾倉扉の開閉、爆弾投下、搭載カメラの操作、灯火の点灯など様々な機能の操作を行う。
シンプル is ベスト
ダイエット一直線
テレフォンガール
ねむり姫地域活動
はみがきまん
ヒマラヤ水晶
ふろしきおじさん
ポンポンダンス
メロン姫知識経済
ラベンダー情報通信ネット
愛華も歩けば棒に当たる
芋虫ころころ
音楽戦士
蚊取線香
願いが叶う
久美の格言
九州男

左右のエルロンは、通常はひとつのサーボで上下逆方向に操舵される。送信機によってエルロンにそれ以外の操作を行えるように、2基のサーボを搭載する場合がある。例えば、両方のエルロンを同時に下げれば、エルロン兼フラップ(「フラッペロン」と呼ぶ)に、両方を同時に上げればエルロン兼スポイラー(「スポイレロン」と呼ぶ)の働きをする。

コンコルド機のようなデルタ翼機の場合、エレベーターは付いていない。エレベーターの機能はエルロンと組みあわされていて、その舵面は「エレボン」と呼ぶ。このように一対の舵面をあるときは左右逆に、あるいは左右同方向に動かす操舵法は、RC模型機では通常のやり方であり、発信機の中で電子的に使い分けている方法が多い。

2009年09月02日

錬金術と科学

現代人の視点からは、卑金属を金に変性しようとする錬金術師の試みを全くの愚行として一笑に付すのは容易である。だが、歴史を通してみれば、錬金術は古代ギリシアの学問を応用したものであり、その時代においては正当な学問の一部であった。そして、他の学問同様、錬金術も実験を通して発展し各種の発明、発見が生み出され、旧説、旧原理が否定され、ついには科学である化学に生まれ変わった。これは歴代の錬金術師の貢献なくしてはありえなかったともいえる。

過去の文献からは、成立し始めた自然科学が錬金術を非科学的として一方的に排斥しているわけではなく、むしろ両者が共存していたことが見てとれる。様々な試行錯誤を行う錬金術による多様な分離精製の事例は、化学にとって格好の研究材料であった。錬金術師たちは、巷で考えられているような研究一辺倒の、恰も魔法使いやマッドサイエンティストのような身なり・生活をしていたのではなく、他の職業を持ちながら錬金術の研究も行うといった人物も多く存在していた。
テレフォンガール
ねむり姫地域活動
はみがきまん
ヒマラヤ水晶
ふろしきおじさん
ポンポンダンス
メロン姫知識経済
ラベンダー情報通信ネット
愛華も歩けば棒に当たる
芋虫ころころ
音楽戦士
蚊取線香
願いが叶う
久美の格言
九州男
五番目の季節

例えば、万有引力の発見で知られるアイザック・ニュートンも錬金術に深く関わり膨大な文献を残した一人である[17]。最近ではこれらの文献を集めた研究書も刊行されるなど、いわば錬金術的世界観の再評価が行われていると言える。自然科学の発展に伴い錬金術の科学性は否定されたが、ニューサイエンス運動の一環として「大いなる秘法(アルス・マグナ)」の思想は研究の対象となっている。

2009年08月18日

1945年ドイツ敗北の3ヵ月後

1945年ドイツ敗北の3ヵ月後、ソ連は米・英との合意にしたがって対日宣戦布告。翌日、ソ・満国境を越えて満州に進攻、8月14日に締結されたソ華友好同盟条約に基づいて、満州を日本軍から奪取した。満州の日本軍は、蒋介石の国民党軍ではなく、ソ連軍に対し降伏すると取り決められていた。翌年3月12日、蒋介石の駐留要請を断って、ソ連軍は、瀋陽から撤退を開始し、5月3日には旅順・大連に一部を残し、完全に撤退した。 一方、南樺太では、8月11日、日ソ国境を侵犯し、日本に侵攻したソ連軍は8月25日までに南樺太全土を占領した。樺太占領軍の一部は、26日に樺太・大泊港を出航し、28日択捉島に上陸、9月1日までに、択捉・国後・色丹島を占領した。歯舞群島は9月3日から5日にかけて占領されている。
ねむり姫地域活動
はみがきまん
ヒマラヤ水晶
ふろしきおじさん
ポンポンダンス
メロン姫知識経済
ラベンダー情報通信ネット
愛華も歩けば棒に当たる
芋虫ころころ
音楽戦士
蚊取線香
願いが叶う
久美の格言
九州男
五番目の季節
彩花のスポーツ賞

1945年9月2日、日本は降伏文書に調印し、連合国の占領下に入った。千島・南樺太はソ連の占領地区とされた。

1952年サンフランシスコ講和条約発効により、日本は独立を回復したが、同条約にしたがって、南樺太・千島列島の領有権を放棄した。条約締結に先立つ1946年末から、日本は米国に対して36冊に及ぶ資料を提出、日本の立場を説明している。この中の2冊は千島に関する事項であることが知られている。このような経緯があって、千島列島の範囲が、日本に不利なように定義されなかったが、同時に、日本に有利なように定められることも、なかった。

2009年08月06日

暴走族が乗る車両は

暴走族が乗る車両は改造が施されることが通例で、騒音規制や二輪車・四輪車の規格・保安基準に違反する違法改造である場合も少なくない。共同危険型暴走族は装飾性に重点が置かれる「カスタムカー」のスタイルを取るのに対して、違法競走型暴走族は走行性能の向上を目的に行われる「チューニングカー」のスタイルとなっている。また、共同危険型は意図的に騒音を大きくするための改造が行われ、違法競走型の場合も性能向上が結果的に騒音を生むため、どちらの車両でも一般車と比べて騒音性が高い。共同危険型の車両は「族車」という俗称で呼ばれることがある。

元になる車両はどちらも国産車が中心になっている。共同危険型では希少な1980年代の旧型車が二輪・四輪共に人気が高く、四輪車は3ナンバーのセダン(特にFR車)が多いが、他にもワゴン車を派手に改造・装飾する「バニング」や、高級セダンを中古で購入し独特の改造を施す「VIPカー」と呼ばれるものなど、それぞれの嗜好に応じて多様な車種が用いられる。違法競走型では、速さを競う必然上から走行性能上位車種に限定され、二輪車はスーパースポーツやプロの競技用車両をスペックダウンした「レーサーレプリカ」、四輪車はスポーツカー、それに準ずるスポーツセダンやライトウェイトスポーツなどの「スポーティーカー」。車両価格が高価なため少数派ではあるが、海外のスポーツカーに乗っている者も存在する。
ねむり姫地域活動
はみがきまん
ヒマラヤ水晶
ふろしきおじさん
ポンポンダンス
メロン姫知識経済
ラベンダー情報通信ネット
愛華も歩けば棒に当たる
芋虫ころころ
音楽戦士
蚊取線香
願いが叶う
久美の格言
九州男
五番目の季節
彩花のスポーツ賞
時の光

装飾については、違法競走型も一部装飾性の高いエアロパーツやステッカーなどが施される場合もあるものの、見た目の特異さは共同危険型の方がより強い。

2009年07月25日

留袖

留袖(とめそで)は、和服の一つで、既婚女性が着用する最も格の高い礼装である。着物の格においては第一礼装になり、西洋のイヴニングドレスに相当するものである。

元々、江戸時代には若年者が着用する振袖の長い袖を結婚後に留めて短くし、身八口を縫い留める習慣があり、これらの着物を柄いきに関わらず全て「留袖」といっていた。ここから「留袖」と言う名称自体がやがて「既婚女性の礼装」と言う意味に転じていった。
英語の上達秘伝!
学べる東京の専門学校
休日の安いショッピング散歩
賢い消費者金融の見つけ方
おみくじ道のプロローグ
人材派遣の登録の仕方!
就職・転職ガイドの教え
美容サプリ情報案内
男道の格闘技、武術を学ぶ
全国制覇お笑い芸人誕生
特報・働くお父さんの求人情報
歴史の足跡魅力を紹介
アウトドアアイテムの紹介
旅行、観光は私におまかせ!
大冒険気になる仕事をチェック!
吉日の海外ツアー大作戦
めだかの探偵物語
ガイアの手術体験記
マザー離婚のタイミング
安い部屋探し
雑貨の世界紀行
家族でオートキャンプ

現在「留袖」と言われているのは、化政文化華やかな頃、江戸で芸者から流行が広がった江戸褄(えどづま)と呼ばれる下半身部にのみ模様の入った着物を指す。また八掛(裾回し)は「無垢仕立て」と言って必ず表と同じ生地を用いて仕立てられている。この場合この表からは見えない八掛にも模様が入ることがある。

結婚式などに既婚の親族女性が身につけることが多い「黒留袖」は地色が黒、濱縮緬や丹後縮緬などの地模様のない縮緬を用い、裾に模様が入っており背中・両後ろ袖・前胸元に合計五つの家紋が入る。黒以外のものは「色留袖」と呼ばれ、その着用目的などにより五つに限らず三つ紋・一つ紋などの数が少ないものもある。

2009年07月12日

バウムガルテンの美学

バウムガルテン(A.G.Baumgarten,1714-62)は、ライプニッツ・ヴォルフ学派の系統に属す。「美学」(aesthetics/英)という学問の名称は、彼が、「感性」を表すギリシャ語から作ったラテン語の造語「Aesthetica」に由来する。彼はフランクフルト大学で1742年からこの「美学」の講義を始め、その後も再度の講義要請があったことから、もとの講義内容に若干の加筆修正を行い、これをラテン語で出版した。『美学(Aesthetica)』第1巻は1750年、更に第2巻が1758年に出版された。

美学(自由学芸の理論、下級認識論、美しく思いをなす技術、理性類似物の技術)は、感性的認識学の学である。(第1節)

美学の目的は、感性的認識そのものの完全性にある。然るに、この完全性とは美である。そして、感性的認識そのものの不完全性は避けられねばならず、この不完全性は醜である。(第14節)

美学の出発点は、知性的認識の学としての論理学を感性的認識の学で補完することにあった。
ダイエット日記に挑戦
スキューバダイビングを楽しむ生活を!
ゴルフパークへようこそ!
おもちゃの小部屋
スターライトのカーマニア
ガーデニングの箱
かわいいネイルでオシャレ
キャリアセンターのカッパさん
キャンプねっと。ファミリー特集!
おしゃれな女性ファッション
クチコミグルメランキング
くるくるクーポン情報
ゴルフに連れてって!
てのひらでDVDポータルぴあ
とっておきのアウトドアスポット
マーメイドの観光農園視察
インターネットストーリー
マイホームの掃除術伝授
ママの携帯電話アリーナ
モデルのポンポン活動報告
ルーキーのグルメ食べ歩き!
仮面自動車視察ツアーの案内

日本語の「美学」は、中江兆民がVeronの著作を訳して『維氏美学』と邦題を付けたことによる。日本の高等教育機関における美学教育の嚆矢は東京美術学校および東京大学におけるフェノロサのヘーゲル美学を中心とした講義、森林太郎(森鴎外)による東京大学におけるE. V. ハルトマン美学ら当時の同時代ドイツ美学についての講演、およびラファエル・フォン・ケーベル(ケーベル先生の呼称で知られる)による東京大学での美学講義である。また京都においては京都工芸学校においてデザイン教育を中心とする西洋美学および美術史の教育がなされた。なお東京大学は独立の一講座として大塚保治を教授に任命、美学講座を開いた世界で最初(1899年)の大学である。

2009年06月29日

それゆえ近代化論は国家的なイデオロギー

アメリカ合衆国においては、それゆえ近代化論は国家的なイデオロギー、さらにはアイデンティティとしての性格を持っていた。しかし、1970年代に入ると、近代化論は急速にその影響力を低下させ、精彩を欠くようになる。開発途上国の経済発展が一向に進まず、貧困が減らないことに悲観論が現れ、ヴェトナム戦争の敗北と、そこに見られた反米ナショナリズムの強さから、これまでの開発戦略が途上国の歴史的経験や伝統文化、経済の現状から乖離していることへの見直しが始まった。また、公民権運動に代表されるマイノリティの異議申し立てがアメリカのみならず先進各国で現れた。この時代、国際従属理論や文化帝国主義論が近代化論に代わって一世を風靡した。

一方で日本の経済成長や、それにならった韓国、台湾、シンガポール、香港の新興工業経済地域(NIES)の経済発展は近代化の概念を揺さぶった。プロテスタントの倫理や白人優越主義はもはや誰の目にも成り立たなくなり、NIES諸国で広くみられた開発独裁は、民主化を与件としてきた近代化論への再考をせまるものであった。しかし、特にアメリカは一種の人工国家という側面から、自国のアイデンティティの一部をかたちづくっている。アメリカにおける近代化論は、それゆえ何度も論理が組み替えられ、歴史叙述における強国論や覇権の盛衰、文明論や諸文明の拮抗・対立、あるいは歴史終焉論というふうに姿を変えながらも、根強い影響を与えつづけているのである。
アメリカ合衆国においては、それゆえ近代化論は国家的なイデオロギー、さらにはアイデンティティとしての性格を持っていた。しかし、1970年代に入ると、近代化論は急速にその影響力を低下させ、精彩を欠くようになる。開発途上国の経済発展が一向に進まず、貧困が減らないことに悲観論が現れ、ヴェトナム戦争の敗北と、そこに見られた反米ナショナリズムの強さから、これまでの開発戦略が途上国の歴史的経験や伝統文化、経済の現状から乖離していることへの見直しが始まった。また、公民権運動に代表されるマイノリティの異議申し立てがアメリカのみならず先進各国で現れた。この時代、国際従属理論や文化帝国主義論が近代化論に代わって一世を風靡した。
英語の上達秘伝!
学べる東京の専門学校
休日の安いショッピング散歩
賢い消費者金融の見つけ方
おみくじ道のプロローグ
人材派遣の登録の仕方!
就職・転職ガイドの教え
美容サプリ情報案内
男道の格闘技、武術を学ぶ
全国制覇お笑い芸人誕生
特報・働くお父さんの求人情報
歴史の足跡魅力を紹介
アウトドアアイテムの紹介
旅行、観光は私におまかせ!
大冒険気になる仕事をチェック!
吉日の海外ツアー大作戦
めだかの探偵物語
ガイアの手術体験記
マザー離婚のタイミング
安い部屋探し
雑貨の世界紀行
家族でオートキャンプ


一方で日本の経済成長や、それにならった韓国、台湾、シンガポール、香港の新興工業経済地域(NIES)の経済発展は近代化の概念を揺さぶった。プロテスタントの倫理や白人優越主義はもはや誰の目にも成り立たなくなり、NIES諸国で広くみられた開発独裁は、民主化を与件としてきた近代化論への再考をせまるものであった。しかし、特にアメリカは一種の人工国家という側面から、自国のアイデンティティの一部をかたちづくっている。アメリカにおける近代化論は、それゆえ何度も論理が組み替えられ、歴史叙述における強国論や覇権の盛衰、文明論や諸文明の拮抗・対立、あるいは歴史終焉論というふうに姿を変えながらも、根強い影響を与えつづけているのである。

2009年06月11日

マーンコプフは前述書に於いてエリオット・カーターの

「新しい複雑性」という狭義を超えて、「複雑系」の音楽がどこから始まったかという疑問には、なかなか答えにくい。マーンコプフは前述書に於いてエリオット・カーターの「管弦楽の為の協奏曲」を源としている。この作品が書かれたのが1969年であることを考えると、年代的には正統とみなせる。しかし、カーターはピッチクラスセット理論等の前衛の諸様式を参照の上で到達した独自の試みと捉えており、1965年作曲の「ピアノ協奏曲」で、既に「管弦楽の為の協奏曲」のテクスチャーを凌駕している。


ミルトン・バビットはトータル・セリーの生みの親とされ、彼が作曲した「ポスト・パーティションズ」を起源とみなすことも可能である。しかし、多くの書物で指摘されているようにトータル・セリーが開花したのはアメリカではなく、ダルムシュタット夏季現代音楽講習会が開催されたドイツを含む西欧であった。バビットは自作の「レラータ1」の初演時に「聞きたい音符の半分以下しか聞き取れない演奏だった」と演奏家への不満を表明する。

そして、前衛の時代が20年強続き、1968年以降前衛の停滞及び調性の復活が議論されるようになる。断っておくが、この時代の展開は国際コンクールで精密機械のような古典作品を披露する演奏家が評価されたり、かつての前衛の時代に書かれた作品を非常に高い精度で演奏できるようになったことと無関係ではない。オリヴィエ・メシアンの自作自演ピアノ演奏や、デイヴィッド・チューダーの演奏によるジョン・ケージ、カールハインツ・シュトックハウゼン作品の音源からは、「意外に演奏の段階で、ミスタッチを含めて恣意的な解釈を含む。」という事実が指摘されている。また、「前衛の時代に書かれた作品が、それほど複雑ではない。」ということも少しずつ議論に上がってくるようになった。これらの暴露は、前衛の時代が終焉してから、やっと行えたのである。

ファニホウは「テンポ感が確定していれば、テクスチャーは全て聞き取れる」という価値観を、現在に到るまで崩していない。この価値観を「新しい複雑性」に関った作曲家達が盲従したのは、ファニホウ自身にとってはあまり良い事ではなかっただろう。フィニスィーは1990年のダルムシュタット夏期講習会で「自分達が開発した理論が乱用され、楽譜を格好良くするための音楽」があまりにも多く書かれていたことに憤慨している。この辺りから「新しい複雑性」が単なる流行だったことが明らかになってくるものの、ヘルムート・ラッヘンマンが言うように楽派参入者は後を絶たない。

ファニホウを初めとする「新しい複雑性」はその存在が早くから日本に知られており、武満徹主催の「今日の音楽」や松平頼暁著「現代音楽のパサージュ」等で、部分的な紹介はなされていた。しかし彼らの主張を演奏、作曲の両面で音楽家が消化できた時期は細川俊夫主催「秋吉台国際20世紀音楽セミナー&フェスティバル」内でファニホウ本人の来日が実現した1995年辺りまで待たなければならなかった。主に60年代後半生まれの第三世代を刺激し、第二世代(藤井喬梓は1990年頃脱退)には見向きもされていないといった点に日本独自の特異な文化吸収が認められる。詳しくはポスト・ファーニホウを参照のこと。

日本では現在も「新しい複雑性」全体の紹介は遅々として進まず、専らソロ作品が限られた演奏家のレパートリーになる程度で、室内アンサンブル作品の演奏の実現には遠く及ばない。にもかかわらず、ファニホウ受容に成功した作曲家が海外留学後に活躍することは、珍しくない。西洋伝統音楽を学んだ作曲家と演奏家双方の、文化受容度の乖離が甚だしいアジア全体の問題も浮かび上がる。またファニホーとはまったく別の角度からロクリアン正岡:正岡 泰千代の諸作品などの複雑な作品はもともとあった。
スノーボード
ベジタリアニズム
キャラクター
絵画
甲殻類
潮干狩り
相撲
就学前教育
月経
緩歩動物
エイズ、HIV感染
信越地方
切り絵
鳥類
新婚旅行
盆栽
夜景
御節料理
カーナビゲーション
里山

現代音楽界に限らず、限界への挑戦を志す音楽家は少なくなかった。19世紀はベートーヴェンの死後、技巧そのものを売りにするリストなどのピアニストが誰が一番強いかを競い合った。その後のワーグナーの「トリスタン」を通り、マックス・レーガーは師のフーゴー・リーマンから書法の煩雑さを問題とされ、ジョルジェ・エネスクも自作の交響曲第二番の複雑さを改訂すべきものと考えていた。そのような時代の変遷を知った上なら、別に「新しい複雑性」も西洋音楽特有の流行の一翼であった、と言い切ることも可能ではある。

しかし、「新しい複雑性」が現代音楽界を震え上がらせた理由は「セリー理論に忠実に」音楽を書くことを理想としていたはずのダルムシュタット夏期講習会の内部から、作曲家自らが聞きたい音楽のための「理論を創出する」事へ転換することであった。元々全ての作曲家の課題であったはずのこの考えが前衛の世代からは導けなかったのである。近代のシェーンベルクの「月に憑かれたピエロ」から始まりブーレーズの「持ち主のない杖」や「婚礼の顔」を経た後、70年代は前衛の停滞が叫ばれ、なぜポスト・セリエルが行き詰まるのか、ほとんど誰もわからなかった。

「ポスト・セリエルには欠陥がある。音楽的密度の増減を自らが律してしまう」といった声を、音楽文化の僻地としか捉えられていなかったイギリスから発し、アイディアの欠如から来る苦し紛れから始まりながらも、ハイパー・ロマンチックな思考を駆使してまで解決したファニホウの功績はそれでも大きい。が、ポスト・ファニホウにも新たなしかしまったく同じ問題が横たわっていて、ヘルムート・ラッヘンマンやハンス・ツェンダーはファニホウが本当の複雑系の最終限界と言い、前者はドナウエッシンゲン75周年記念の講演で「音楽はそうやってすでに死んだ」とも言っている。

クラウス・フーバーなどは1990年代のベルリンの現代音楽の講習会で「それでも音楽が時代を経るに連れて複雑になるのは、エントロピーの法則のように自然であり可能性がないわけではない」と言っている。事実アーロン・キャシディーは全編複雑極まりないタブラチュアで音符のない作品を生み出すことに成功し、ゲラルト・エッケルトは「特殊奏法の複雑性」をテーマとした作品に取り組みつづけている。